日の誓い愛の信仰

ぼくのクレド信仰条文01月20日01:23

2007年ライでの裕美さんの演奏の、熟練も気魄も桁違いな素晴らしさは、観なければわからない。技にも表情にも、予想できない感動を覚えます。彼女はほんとうに多様な面があって面食らわせる、内容をぎっしり感じさせるひとだ。演出的表面とはまるでちがう。ぼくの言いたいのは、彼女の弾く全曲の完璧で優美な音色は、すべて、異常な緊張と努力によって創造されていることが、ここから納得される、ということなのだ。116

堅信と覚醒と慎み

きみの気持に応えるために01月17日23:08

きみの気持の声01月17日00:17

秘記覚知01月01日19:12

きみへの愛INMYARMSTONIGHT12月22日20:38

私記12月21日02:21

熱烈に11月28日16:44

アルバム1〜5愛の修道院のなかで11月10日13:23

神に至る愛愛の修道院のなかで11月04日03:56

告白10月06日22:47

きみと共にいることは、ぼくがぼくとして在ること10月06日03:52

個人覚書10月01日02:20事実と信仰覚書09月28日19:03

ぼくには07月27日23:57

愛は発するものであると同時に求めるものである7月26日00:16

記録愛の修道院のなかで06月25日17:05

記録愛の修道院のなかで07月19日14:11

ぼくは、ぼくのなかのきみいがい、もう信じたくない。

信じることの前ではすべては無力であり、信じることに合わせるしかない。717

愛は現前である07月07日14:22

日の誓い信仰個人非公開

あなたは私だけを信じてちょうだい。私はいつもあなたと一緒よ。

ぼくを知ったいまのきみの表情をみたい。ぼくのなかでしかみられない

きみを愛して愛して愛しぬく。ぼくの救いより大事なこと。そこにのみ

ぼくはいる。

これがぼくの信仰の生の核心であり自由である。信仰は天のご機嫌とりではない。天に逆らっても自分の本心を敢行することを自分で肯定することを、信仰という。

神がどう思うかをぼくは知り得ない。神の意思に基づいて生きるということは、よって、欺瞞である。信仰は、自分の決断と決意に基づいて生きることを敢行しつつ、神に面する態度において絶えず自分を問うことである。信仰内容は、個としての人間の歴史性の集積の深みから生成する。17610

きみの演奏を聴ききみの魂を愛することは他のいかなることにも優る

私録KakegaeNoNaiMono素材にこころを籠める

内部の世界に集中せよ

内部の世界に集中する、これはまことに神の召命なのであり、修道精神の本質である。このゆえに美意識は生の路を宗教的たらしめ、そのかぎりで倫理的たらしめる。倫理とは、生を愛の修道院の路たらしめる魂の希求である美意識の、美意識そのものからの自己統制であるほかの意味をもたない。内部の世界に集中せよ、この意味するところがぼくはきょう1769身に染みて痛切に解った。ぼくの今後のすべての生を支配するだろう。

神に導かないのなら芸術にはいかなる真面目な意味も無い。そして芸術の意味を知ったのなら修道士の生を生きざるをえない。このことがいまぼくに真剣な実践として自覚された。

夢想であったものが真剣なものとなった。

愛の定義3月23日

愛の修道院の路3月25日書き始めて三年の日

愛とは、生活すべてが神聖な儀式となることである。おのずから生活が修道院となる。

ほんとうの愛ほんとうの仕事音楽への感謝3月31日21:52

裕美さんの魂の意識を籠める音楽づくりには聴くたびに尊敬します。

4月2日(日)00:08:19

自分の過去の思索を担わなければならない。

愛の修道院のなかに生きながら思索をする。それは問いの集中である。この集中がぼくには祈りであり作品の路である。

ぼくはいま問うものの外部からではなく問うものの内部から問う境位にある。すべて裕美さんのおかげである。

2016年11月08日(火)22:31:42

永遠というものがあるとしたらそれは記憶の王国であり、そこではすべての愛と美の記憶が生命をもって生きており、生の本質と現実そのものであり、そのすべての記憶はその意味と内実をますます深く無限に開示しつづけるような世界である。

2017年03月08日(水)22:52:00

無限を知るとは、いのちに共振することである。

無限でないいのちはない。

支える言葉2016年11月21日(月)21:11:56

ぼくは人間の本性は愛であると思っている。自分に反さず生きていれば、愛の方向にゆくしかないと思っている。愛のほかに、自分のほかに、なにを得ようとするのであろうか。自分を得ることは世界を得ることではない。愛を得れば世界を捨ててよい。自分は自分にしかない。愛は自分にしかない。生きていれば、愛の方向にゆくようにできている。これが運命であり自由である。

読書とは、自分の創造の合間にするべきものである。高田先生が勁く深い理由はこれである。

愛信仰美意識修道院路神召命慎み美感覚

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